今日を生きる

僕達が生きることに意味があるのだろうか、そう僕はずっと考えてきました。
ある時ふっと思ったのです。生きることに意味はないんではなかろうかと。なぜそう思ったのかはあの時の僕にしか分からないと思う。今の自分ではそう感じれた心も、もう別のものになっている気がして。
今日を僕は生きています。お金や恋人や仕事や、様々な事柄に気を揉みながらそれでも生きています。いや、生きているからこそ気を揉むのだろうけど。現実を現実たらしめる事柄のすべてが稀薄になって、自分が一人でいることに心から涙する。こういう時に支えてくれる誰かがいればと。
それでも僕は明日を生きるでしょう。朝早く起き、電車にのり、会社に向かう道すがら、何を買おうか何をしようかと考えながら現実を生きるでしょう。それが当たり前で、それしかなくて、どうしようもない程に生きるしかなくて。
1年後も僕は生きるでしょう。事故や災害に巻き込まれない限り、僕は今日と同じように生きるでしょう。代わり映えのしない何もない風景に囲まれながらも、それでも明日を夢見て生きるでしょう。
それほどまでに生きることに意味があるのでしょうか。これほどまでに苦しんで生きることに意味があるんでしょうか。
人生の意味なんて他人から押し付けられて満足できるようなものではないのだと。自分で見つけだし、手に入れるものだから。その長い旅路のどこかで、ふと目をとめた花にその意味を見い出すかも知れません。だれかにありがとうと言われた時に思うのかも知れません。
そう、まだ分からないのです。何もかも、まだこれから先に見つけられるかも知れないし、そうでないかも知れない。そんなこと自分には全く分からない。悲しい程に自分の未来なんて分からない。自分のことなのにも関わらず。
それだから僕は生きていこうと思います。この先何があろうと。

すいません。酔ってるのでこんな文章しかかけません。