終わりの方向性

交響詩篇エウレカセブン完結。最終回んまぁ一部気に入らんとこもあったけどおおむね満足。気に入らなかったところは最後にゲッコーステイトのメンバーのその後が出なかった事。アネモネとドミニクは出たのに・・・。
いやでもいい終わりでしたよ。この作品の主題はやはりレントンの成長日記というところでしょうか。中盤のダルさやグロなどで評価下げたりしてますけど、コレを一人の少年の成長過程を追っていく作品としてみるならば、今までになかった作品だと思うんですけどね。現実の世界もコレと同じように奇麗事だけで出来てるわけではないし、中盤に感じたあのもやもやしたジレンマみたいなモノって少年期特有のやるせなさと同じだと思うんですよ。まぁリアルで同年代な人にはわからんだろうけど、少年期を過ぎでしまった人たちには解るんじゃないかな。その描写があったから同族嫌悪的な嫌悪感を示した人が多いのでは。ちょっとリアルな危機感とか情けない立ち振る舞いとか自分に共通するものを見せられて*1。解るんだけど解りたくない。でもそれがなかったらレントンはもっと軽い奴で最後の最後によく頑張った、ああ終わったとは言えないと思う。
その他にも宗教問題とか民族紛争なんてアブナイテーマ盛り込んで朝7時に放送する自体ハラハラですよね。それに大抵の人には難しいんじゃないかと。それは作り手側の伝えたいことなのかな。だったらあの結末はやばいと。共存できないから俺たちちょっと違う世界に行きますよって。まぁあれは分かり合おうとする気持ちと救いたいと思う願いに導かれた結末だということはわかるんですけどね。ああいった問題において究極的な答えを真っ向から提示してはねぇ、とか思った。でも好きだけど。
絶望病の人たちが元に戻ったのは指令クラスターを破壊されて魂が体に戻ったためであるということは解る。でもオラトリオNo.8の残骸を自分たちの下に落としたのは何故だろうか。推察できる答えとしては破片による被害を最小限にして星を守るためというのと、指令クラスターが破壊され絶望により自ら死ぬことを選んだか。個人的には前者だと思うんだけど、もっと被害を少なくする方法はあったと思うし、ユンゲルスの通信にあったように塔めがけて落としてるのはちょっとな。まぁ自分たちの属していたスカブコーラルという存在に対しての被害を最小にするために人間たちの作ったものに落としたというならないわけでもない。でも大地と共存するウィルのところに落ちたことを考えるとそれもなさそう。うーん確かのことはあの破片落下は「箱舟」であるということ。箱舟ならやはり新世界ですか。
まぁ上記の疑問はいいとしてやはり作り手の使用者に媚びない作りも好き。だって最後の最後に電気グルーヴの「虹」って。あれは完全にヤラレタ。てっきり「DAYS」がかかると思ってたのに。インスパイアもいっぱい盛り込んでもうお腹いっぱいだよ。ラブラブ天驚拳って、ガンバスターって。*2
最後にニルヴァーシュにしゃべらせた意味って、本来のスカブコーラルの代弁者だったエウレカがその役目をおろされたって意味もあるんじゃないかと。レントンとともに生きることを選んだエウレカコーラリアンという存在ではなく新たなる進化を遂げたものになったんじゃないかな。レントンとともに。
というわけでエウレカセブン終わっちゃいましたが、とりあえずゲームも出るしサムナたちの話がどうアニメにつながるのか楽しみたいと思うわけで。んでベスト盤のCDについてくるDVDにはきっとその後のお話が10分くらい入ってるんじゃないかと期待しときます、じゃなきゃあの値段はぼった・・・。

*1:しかもエヴァほど直球でないオブラート具合がさらに無意識の嫌悪を増大させる。判らないけど嫌みたいな。

*2:ぶっちゃけ本当のところ思いっきり媚びてるとも見れるけどw